戸隠の歴史

比丘尼びくに石の話

 戸隠は、かつては女人禁制の地、つまり女性の直接の立ち入りは認められなかった土地でした。当時、女性は不浄なものと考えられ、女性が立ち入ることによって霊場が汚され、神の怒りに触れると、まじめに信じられていたのです。
長野市の市街地方面から中社を過ぎて、旧越後道をしばらく歩きますと、女人堂という建物があった地点にたどり着きます。昔は、善光寺方面から来た女性は、ここまでしか入る事を許されず、女人堂にて遥拝を行いそのまま先へ足を踏み入れること無く、引き返していったものと思われます。また、戸隠と反対の柏原方面から登ってくると、こちらも、女人結界の碑が建つ道が二股になった場所にたどりつきます。やはり、昔はここから先へは女性が立ち入る事ができず、ここで引き返すか、左手に進路をとって奥社に足を踏み入れること無く、中社へ向かうよりほかになかったのです。
今からは想像できないくらい、厳しい掟だったようです。

 女人堂跡付近に建っている碑があります。ここで分かれ道となっています。右は越後道、左は奥社への参道。昔、女性はここから左の道へは進めなかったのです。
 よく晴れたある秋の日、一人の比丘尼がお供を連れて戸隠へやってきました。二人は奥の院目指して、この女性が立ち入る事ができる限界点の女人堂までやってきました。お供はもとより比丘尼はこれより先は女人禁制であることを十分承知していました。ところが、比丘尼はそんな掟など気にしないがごとく、女人堂より奥へズンズンと歩き出しました。お供は慌てて比丘尼を引き止め「ここで遥拝をして、早々に下山いたしましょう」と強く申し入れましたが、比丘尼はお供がいかに申し入れても聞き入れることなく、更に奥へ進もうとします。
 お供はついに主を引き止めることができず、掟を破った恐ろしさに震えて前にも後にも動けなくなりました。できることはただただ、主の行動が神の怒りに触れぬように一心不乱に祈ることだけでした。ところがどうでしょう、比丘尼が足を進めてしばらく行くと、今まで元気の良かった様子が一変し、ふと歩みを止めたかと思うとその場にバッタリと倒れ込んでしまいました。そしてみるみるうちに身が硬直し、どんどん石に変わっていくではありませんか!後ろで、それを見ていたお供は、あまりの驚きに主のもとに駆け寄りそうになりましたが、なんとかこれより先は女人禁制である事を思い出し、あわてて本坊まで駆け戻りました。

 今でも女人堂跡地からしばらく奥社方面に向かった場所に、比丘尼石といわれる大きな岩が横たわっています。しばらく前までは女人堂付近にあるとはわかっていたものの、どの岩が比丘尼石か判断がつかない状況が続いていましたが、近年、近くに住む老人がいつもある岩にお供えをしている事がきっかけとなって、その岩が比丘尼石であることが判明しました。
 石となった比丘尼を偲んで、地元有志の方々が建てた石碑(越水ロッヂの前)です。