幽魂社碑                                        宝匧印塔
地蔵堂の反対側、墓地横に石段があります。そこを登ると幽魂社碑と宝匧印塔があります。
安永8年(1779)戸隠に雪舟(そり)事件と呼ばれる宝光院衆徒と中院衆徒による争いが起こりました。薪の切り出し運搬の権利などに関する争いで、宝光院衆徒は支配者である別当へ抗議のため院坊を出て、本寺の寛永寺や寺社奉行に越訴したが敗訴してしまいます。そのため宝光院に戻ることも出来ず追放となり、他国で亡くなりました。幽魂社碑は衆徒17坊の霊の帰還を祈って明治14年に建立されたものです。


隣にある宝匧印塔は本来宝匧印陀羅尼の経文を納めるためのものですが、後に供養塔・墓碑になることが多く、「長野県町村誌」によれば昔は宝光社に個人の墓がなく、皆まとめてここに埋葬したと伝えています。