津村信夫文学碑 |
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津村信夫文学碑 詩人津村信夫は戸隠そのものを自分の文学世界の中心に位置づけました。昭和9年、軽井沢で小山昌子と出会った信夫が東京から通うデート先に選んだのが戸隠でした。 昭和11年に昌子と結婚した信夫は戸隠通いを続けます。 戸隠の自然がいい、人情がいい、歴史や伝説が息づいてるのがいい、山ならではの食があり、そして人情の細やかさがいいと言っています。 そして、かまど池の皿貸し姫の伝説、足の速い戸隠天狗の伝説、宣澄さんのお祭り、これらに触れて信夫は詩「戸隠」「初冬の山」小説「坊の娘」「最終の人々」「春山」「戸隠拾遺」童話「善光寺平」など、次々に戸隠を文学の世界に取り込んでいきました。 昭和19年、信夫は病気で生涯を閉じます。「戸隠の絵本」の冒頭を飾った詩「戸かくし姫」の碑が中社:極意家の裏山に建てられています。 戸かくし姫 山は鋸の歯の形 冬になれば 人は往かず 峰の風に 屋根と木が鳴る こうこうと鳴ると云ふ 「そんなに こうこうつて鳴りますか」 私の問ひに娘は皓い歯を見せた 遠くの簿は夢のやう 「美しい時ばかりはございません」 初冬の山は不開の間 峰吹く風をききながら 不開の間では 坊の娘がお茶をたててゐる 二十を越すと早いものと 娘は年齢を云はなかつた |