守護不入の碑


中社・久山館 守護不入の碑
(旧 顕光寺本坊・勧修院)

久山館へのアプローチを少し行くと守護不入の碑があります。

江戸時代、顕光寺は千石を幕府からもらい代官を置いて地域を支配していました。領主にあたる別当は寛永寺が派遣し戸隠領は大名の支配する藩と同じようなものでした。
そこで周囲の藩に対して戸隠は独立性を主張したのがこの碑です。
江戸中期の別当・乗因が建立しました。

正面に「山中支配領内守護不入」
右側面に「戸隠山別当職勧修院」とあります。