奥社院坊跡
随神門の先、参道左側に石垣が続いています。平安末期から明治まで続いた本院の院坊屋敷の跡です。

現在も中社や宝光社に見られる宿坊ですが、昔奥院にも12の院坊がありました。

しかし冬の奥院での生活は厳しく、江戸時代半ばから中院や宝光院に里坊をおいて冬を過ごすようになったといいます。

明治以降は神仏分離で院坊が廃止され、奥社の院坊は消え去ることとなりました。


礎石や囲炉裏の跡、通貨や土師器が発掘されています。


顕光寺であった時代は奥院・中院・宝光院といいました。今でも中社の「宿坊」と仏教用語を使ったり、旅館のことを「旧○○院」などと呼んでいるのは寺院時代の名残です。

奥院宗徒は神前に努め、中院・宝光院に比べて講の少ない奥院宗徒のために江戸幕府から三百石が割り振られたと言われています。