日本六十六州一の宮
日本六十六州一の宮

文化8年(1811)、戸隠栃原にある大昌寺に和尚瑞応は、長明と自分の両親の菩提を弔うために法華経六十六部を書き写し、箱に入れて地中に埋めました。そこに法華経六十六部供養塔を建て、周りにそれぞれ一基ずつ日本六十六国の一の宮を安置しました。
六十六州とは全国六十六ヵ所の霊場のことで、そこに法華経を一部ずつ納めて巡礼する行脚僧がいました。ここでは六十六ヵ所の霊場をその国の一の宮と見立て、六十六国すべてを一か所に集めたことになります。

再建奉賛者の中には旧宮家・明治時代の著名人の名前が見られます。