戸隠神社宝光社参道 
長野市街地(バードライン経由・県道経由)より上がってくると最初に位置する宝光社。地蔵堂から宝光社社殿に向かって坂道を登ってくる途中、現:奥田旅館の場所にかつて随神門(仁王門)がありました。昭和20年(1945)の大火で焼失してしまいました。
左の写真は宝光社参道入り口です。
右の写真は270段余ある階段です。奥に小さく見えるのが宝光社社殿です。途中女坂もありますので、体力と体調に合わせて御参拝ください。



戸隠神社 宝光社


宝光社

神仏習合時代の面影が強く残る建物は万延2年(1861)に建立されました。奥行きの深い妻入り形式が特徴で、権現造りになっています。軒を飾る彫刻の数々は幕末から明治にかけて活躍した北村喜代松と推定されています。

御祭神は
天表春命(あめのうわはるのみこと)で中社の御祭神・天八意思兼命の御子神であります。
技芸裁縫、安産、女性や子供の守り神として信仰されております。



菊の御紋が神社の色々なところで見られますが、これは明治6年に県社となり、明治23年~終戦まで国幣小社として菊の御紋の使用を許可されていたからです。


神輿蔵

社殿、向かって右側に御神輿が収蔵されています。

古い神輿は文化元年(1804)に制作されました。
総工費は522両といわれ、文化13年(1816)に修復されております。
重さは約750㎏。

御神輿は七年に一度の式年大祭の時に、天表春命を安置し、父である天八意思兼命が祀られている中社まで御移動されるときに担がれます。

熊の石塔から地蔵堂まで徒歩約25分
  地蔵堂から宝光社社殿まで徒歩約20分