平成25・26年度企画展

時代を乗り越え、信仰の灯火を保ち続けた
「別当の決断」

別當とは

奈良時代に長官一般を指した言葉で、転じて寺務を統括する僧職を「別當」(別当)と呼ぶようになりました。寺院において最古と確認されるのは延暦二十三年(八○四年)東大寺で、以後、東寺・興福寺・仁和寺・法隆寺・四天王寺の上官が「別當」と呼ばれ、その後、地方の大寺院にも設置されていきました。

戸隠では

江戸時代の戸隠は千石の御朱印地を有し、別當勧修院がこれを支配、本坊御役所(勧修院)には、奉行・代官・寺侍・役僧が置かれていました。別當は御朱印地の地頭として領内の民政をつかさどり、一山五十三坊の取り締まりをしました。現場での実務的な動きは、院代やその弟子たちが、別當に代わってこれを行いました。別當は朱印地の領主として、しばしば江戸に出て将軍にお目見えの礼をとり、比叡山または東叡山から転任、院代や代官を引き連れて入山する場合もありました。

権威と立場

嘉永五年(一八五二)八月に行われた別當慈伝の席次は以下のようでした。導師は三院の長老教釈院、次に院家慈谿、院代、その弟子、三院衆僧、部屋住衆、つぎに机中の間敷居より一畳下に栗田、同一畳目中程に大出喜八郎、三の間に山奉行、三の間下より一畳目に寺侍中沢直吉、三の間中程に山伏二人、下の一畳下に徒士が控えていました。こうした席順から祭祀生活における別當の権威と立場を知ることができます。

写真は「旧戸隠山顕光寺本坊 勧修院歴代別當の墓所(中社)」

  「旧戸隠山顕光寺本坊遠望」(昭和初期・中社 昭和17年火災焼失

戦国乱世を生き抜いた知恵・行動力
武田信玄、上杉謙信の北信濃支配は、隆盛する信仰拠点善光寺と、戸隠山・小菅山(現飯山市)の両修験道場を掌中に収める神仏争奪の戦いでもあった。善光寺は本尊とともに各地を流転。小菅山元隆寺は武田勢に焼き討ちされ衰退。そんな中、戸隠の衆徒七十余名は、永禄七年(一五六四)から三十年間、筏ヶ峰(現小川村)等へ移動・潜伏し信仰生活を貫いた。後に上杉景勝による復興支援を得て文禄三年(一五九四)帰山を果たす。新たに公開された古文書『徳武家過去帳由来』で、当時の戸隠復興の様子と、それを支えた近衆二人(阿智源蔵徳武寛国、西山伊右衛門冨永)の存在があきらかになった。

筏ヶ峰戸隠信仰遺跡

戸隠一山衆徒七十余名は、甲越合戦の戦禍を逃れ、小川の大日方氏を頼って筏ヶ峰に移り戸隠三院の神霊を奉遷しました。以後、上杉景勝による戸隠三院再建・一山衆徒帰山までの三十年間、戸隠神社は他の地にあり、戸隠にちなんだ地名がいまなお数多く残されています。

武田信玄願状       戸隠神社蔵
天文二十二年(一五五三)甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信による川中島合戦が始まり、その戦いの最中、永禄元年(一五五八)八月、武田信玄は戸隠山中院に願状を奉納して戦勝を祈願しました。
見事な筆跡の文章で今に残る数少ない信玄自筆の願状です。 信玄願状を戸隠山中院に取り次いだのは、武田氏と気脈を通じていた阿智源蔵琢武寛国です。


伝武田信玄面頬      戸隠神社蔵
武田信玄使用のものと伝えられる面頬です。
戦闘時に顔面を守る他、顔の大部分を覆うことで、顔形や年齢を相手に悟られないようにする効果もあったといいます。


光如坊願状を取り次ぐ図(戦国時代)聚長家蔵
「光如坊」とは、戸隠中社の現武田旅館(旧智泉院)のことで、徳武寛国によって取り次がれた「信玄願状」は光如坊を通して戸隠中院に奉納されました。


時代変化に対応し信仰を興隆させた

五一代別当見雄の開放策


徳川家康から朱印地千石を与えられ、その宗教的権威を高めていく戸隠、元禄年間、別営見雄、後継者子義らによる改革・新事業が遂行され新たな山容が整えられていく。

信仰を求めはじめた庶民への対応、威厳の持続

徳川幕府が政権を取り戦国乱世は終結、戸隠山顕光寺は一千石の朱印地を認められ信濃天台宗寺院の元締めとなった。その権勢は善光寺・諏訪大社と並ぶ位置にあった。百年後、時代も平らかになり、庶民のゆとりの現れとして信者数増加の兆しもみえてきた。第五十一代別當見雄は元禄十年(一六九七)「戸隠山年中行事掟」を定め燈明役や堂社、増加傾向にあった入山修行者に対して規範を設け、長期にわたって寺社の宗教的威厳を保つ方策とした。また、平隠な時代とともに流行した江戸出開帳や遠方への講など布教組織を構築、改革は後継者子義に受け継がれた。

※朱印地‥寺院に千石の年貢を納める地。朱印状その地と耕作民を寄進したことを証する書状。

改革と新しい事業
「戸隠山年中行事掟」
一、燈明役をはじめ各坊において朝夕の勤行を厳格に行い、寺内外の清掃に努めること。
一、山中の小さな堂社も本尊を安置、修復に努めること。
一、将軍家代々及び天台座主の命日には本坊において法事を行う。三院から各一名出仕すること。
一、燈明役交代、仲間の講や寄合の際、料理の贅沢を慎むこと。篤信檀家の接待には配慮すること。
一、山中衆徒の破戒不律を厳禁する。俗人と紛らわしい身なり振舞を禁止する。
一、奥院燈明役、古来三院輪番で勤務している。これを先例通り厳格に守ること。

◎高妻山入山を許可

両界山(密教の霊山)として修験者以外禁足地とされてきた高妻山を、末寺・一般檀那等に、期間は六月一五日から七月二十日に限って登山することを許し、山道整備の笹刈に中院・宝光院の衆徒と門前百姓合計六十人を動員。

◎江戸出開帳を創始

元禄一三年六月一五日から八月一五日、深川八幡宮で初めて江戸出開帳を、続いて元禄一四年三月一五日から四月晦日まで国元開帳を行った。以後江戸時代三回出開帳により資金を募り、本堂の改修・改築を行う。

◎年貢米収納の蔵を建築

上野(現在長野市戸隠豊岡)に米蔵新築。年貢米一千石収納は代官立合いで行われ、小川代官日記に約一週間にわたる立合いが記される。

◎社叢を整え辨財天を祀る

本坊の前には弁天池を掘り、弁天島に辨財天を祀った。十五童子を従えた「九頭龍辨財天」は、現在旧勧修院久山旅館に祀られている。



見雄開眼の曼荼羅(聚長家蔵)
戸隠山両界曼荼羅 二幅のうち金剛界(江戸時代)
別当見雄の開眼による戸隠山両界曼荼羅は金剛界・胎蔵界の両界を備えた修験場である戸隠山を曼荼羅図として表したもので、二幅が一対になっています。


別當見雄時代の戸隠を伝える

小川代官日記

江戸期、戸隠の代官は、小川氏と西氏両家が務めていました。しかし、元禄十四年、西勘左衛門がお役御免となり、以後、代官はもっぱら小川一族の役目となります。数年前、元禄時代の戸隠代官、小川六兵衛の日記「日次記」が、豊岡神社(八幡宮)氏子に寄託され、別當見雄の時代の戸隠を知る貴重な資料となりました。

戸隠代官、小川家と『日並記』(江戸中期)
小川家旧蔵・豊岡神社(八幡社)蔵
明暦三年〜明治五年(一六五七〜一八七二)、戸隠本坊の代官は小川家がつとめています。数年前、元禄時代の戸隠代官・小川六兵衛(金義、小川六右衛門惣領)の日記「日並記」が、同家ゆかりの戸隠豊岡神社(八幡社)に寄託され、別當見雄の時代の戸隠を知る貴重な資料となりました。

※御子孫徳武武彦氏のご好意により原本を複製、展示させていただきました。

小川代官日記『日並記』に書かれていること

戸隠代官、小川六兵衛が元禄十三〜十五年(一七○○〜一七○二=六兵衛十九〜二十一歳)にかけて、記したもので、別當見雄が、小川父子一家をしばしば訪ね泊ったこと。見雄が病気になったとき金義が懸命に看病に当たったこと。別當見雄亡き後、本山寛永寺並びに日光輪王寺から派遣された役人・役僧と本坊との折衝、後任別當赴任までの山内秩序の維持、領内百姓からのさまざまな要求などの対処、無事後任別當着任まで、その任務を果たしたことなどが綴られています。元服後、代官家当主となった小川六兵衛が。先代別當亡き後の戸隠一山が混乱に陥らないよう最善を尽くし、次々と発生する課題に冷静かつ的確に対応した様子が伺えます。

『日並記』(江戸中期)  小川家旧蔵・八幡社氏子蔵
明暦三年から戸隠代官を務めていた小川家と別當見雄の時代の戸隠を知る貴重な資料です。
御子孫及び八幡社(豊岡神社)の氏子の皆様のご好意により、展示さていただきました。

『徳武家過去帳由来』(複製)(江戸中期)個人蔵     
本書は、元和八年(一六二二)、西山伊右衛門富永=徳武寬国の娘婿が、自身、並びに義父の事蹟を記録したもので、富永の孫富虎による享保末年(一七三五)の「裏書」があります。それによると本書は『過去帳』以前に伝わっていた詳細な記録書「富永ノ伝書」の主な内容を抜き出したものだということがわかります。寬国は、小川の荘筏ヶ峰に移り住んだ戸隠一山衆徒に同行。のち「諸国を遍歴」(『徳武家過去帳由来』)し、情報収集や戸隠復興のために影の力となって奔走しました。
※御子孫徳武和彦氏のご好意により原本を複製、展示させていただきました。

『徳武家過去帳由来』に書かれていること

慶長二年(一五九七)、西山伊右衛門が徳武寬国の娘と結婚し、徳武家の名を継ぎます。筏ヶ峰の衆徒帰山三年後のことです。その後、徳武家は代々存続していきます。徳武寬国の祖先は、天思兼命の子孫阿知氏の系統を継ぐと伝えられています。本史料でも寬国を「阿知源蔵」、天文五年(一五三八)生まれと記しています。なお、西山伊右衛門(徳武富永)は、仁科氏の出身。永禄四年(一五六一)七才の時、叔父仁科盛政が武田勢に謀殺されたことから上杉を頼って越後に逃れ、長じて景勝の厚い信頼を受けました。同時に、別當賢栄にも信頼され、小川での動きや戸隠での情報を伝えました。

戸隠山顕光寺本・末寺一覧.pdf

歴代別当一覧・年譜.pdf

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